2018年6月9日

時事用語―「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」

2018年6月12日に予定されている、史上初の米朝首脳会談が間近に迫っています。最大の論点は、言わずもがな北朝鮮の核放棄です。この文脈で最近何度も目に耳にする表現が、「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化」(CVID)です。「非核化」の部分は、「核廃棄」など別の表現が代わりに使われることもよくあります。

「トランプ 金正恩」の画像検索結果

関係者の最新の発言を拾うと、例えば、2018年6月7日、マイク・ポンペオ米国国務長官は、ホワイトハウスでのプレスブリーフィングで、以下のように述べました。

"The United States has been clear, time and time again, that complete, verifiable, and irreversible denuclearization of the Korean Peninsula is the only outcome that we will find acceptable. "
(筆者訳)米国は、完全で検証可能かつ不可逆的な朝鮮半島の非核化が私たちが受け入れることができる唯一の結果であると、幾度となく明確にしてきた。

本記事では、この表現をアラビア語でどのように言うのか確認し、語学的な解説を加えた後、この表現について筆者が疑問に思い調べて分かったことや、気づいた点を末尾におまけとして記しておこうと思います。


نَزْع السِّلاحِ النَّوَوِيِّ بِشَكْلٍ كامِلٍ وقابِلٍ لِلتَّحْقيقِ ولا رَجْعَةَ فيهِ
complete, verifiable and irreversible denuclearization(CVID)
完全で検証可能かつ不可逆的な非核化


●アラビア語では副詞句を使う!
英語では形容詞を3つ並べていますが、アラビア語では بِشَكْلٍ から始まる副詞句を使っている点が大きな違いです。直訳すれば、「完全で検証可能かつ不可逆的な形での非核化」となりますが、ほとんどの場合、このような副詞句を構成する شكل をあえて訳す必要はありません。英語の接尾辞「ly」、日本語の「的な」のような役割しか果たしていないからです。

بشكل とほぼ互換可能な表現として、以下のようなものが挙げられます。
~بِصورةٍ
~بِطَريقَةٍ
~عَلَى نَحْوٍ

実際、アラビア語メディアを読んでいると、これらの表現を使ってCVIDを表記している記事も多く見ます。ただし、筆者はCVIDをアラビア語で表現する際は、 بشكل で統一することが望ましいと考えています。理由は後述します。

●"قابل ل" は英語の接尾辞「-able」!
「検証可能な(قابل للتحقيق)」の部分で使われている、「قابل ل」という表現は、英語でいう接尾辞「-able」のような役割を果たします。非常に使い勝手がいい表現です。

ex. المواد القابلة للاشتعال flammable materials 可燃性物資
المنتجات غير القابلة لإعادة الاستخدام non-reusable products 再利用できない製品

●لا رجعة فيه は定型句!
不可逆的な(irreversible)の訳にあたるلَا رَجْعَةَ فِيهِ は、対格(タンウィーンなし)の非限定名詞を伴い、絶対否定を意味する لا の用法が使われている、やや変則的な表現ですが、定型句なのでこのまま覚えてしまいましょう。

2015年12月末の日韓合意では、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」が確認されましたが、ここでも登場しています。

حَلّ قَضِيَّةِ نِساءِ المُتْعَةِ بِشَكْلٍ نِهائيٍّ ولا رَجْعَةَ فيهِ
慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決


【おまけ】

●CVIDは歴史ある表現である
北朝鮮の核問題に詳しくない筆者は、CVIDは最近頓に使われ始めた表現という印象がありました。しかし、調べてみると歴史のある表現であることが分かりました。

①外務省公式サイトで検索して確認できた中で最も古い使用例は、2003年8月に行われた第一回六者会合の概要と評価におけるものです。

「六者会合で表明したわが国の立場」として、以下のように記述されています。

「核兵器開発問題について、北朝鮮は、全ての核兵器開発計画を完全に、不可逆的に、かつ検証可能な形ですみやかに廃棄する必要がある。」

②これに先立つ2003年6月のG8エビアン・サミットの概要では、既に下記のような記述が見られます。

「G8として、北朝鮮に対し、目に見え、検証可能かつ不可逆的な形で、如何なる核兵器計画をも廃棄することを強く求めていくことで一致した。」

「完全に」の部分が「目に見え」となっています。この間に現在のCVIDという表現が固まったと推測できます。

③翌年2004年2月に行われた第二回六者会合の概要と評価では、下記の記述がなされています。

「北朝鮮による、すべての核計画の完全、検証可能かつ不可逆的な廃棄(いわゆるCVID)の重要性につき、多くの参加者の間で認識が深まった。」

額面通りに受け取れば、第一回六者会合では単なる日本の立場として表明されたCVIDの必要性が、第二回では他の多くの参加国の理解を得るに至っていたようです。このことから、CVIDは特に日本(と米国?)が熱心に提唱し始めた概念ではないかという推測が可能です。

④CVIDが国際場裏で拘束力のある言葉として結実したのが、2006年10月9日に北朝鮮が初の核実験を実施したことを受けて国連安保理が同年同月14日に採択した決議第1718号()です。

安保理決議1718号は、序文で国連憲章第7章に言及していることから、安保理決議の中でも最も重みのある決議の一種であると言えます。該当部分を引用します。

"The Security Council (...) decides that the DPRK shall abandon all nuclear weapons and existing nuclear programmes in a complete, verifiable and irreversible manner (...)"
(外務省訳)「安全保障理事会は、(...) 北朝鮮が、すべての核兵器及び既存の核計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄すること (...) を決定する。」
 إن مجلس الأمن (...)  - يقــرر أن علــى جمهوريــة كوريــا الــشعبية الديمقراطيــة أن تخلــى عــن جميــع أسلحتها النووية وبرامجها النووية الحالية بشكل كامل وقابل للتحقق ولا رجعة فيه

なんと、現在メディア等で形容詞を並べて表現されるCVIDは、安保理決議では英語でも 副詞節を使って表現されていました。先ほど筆者がアラビア語では بشكل で統一するべきだと述べたのは、安保理決議がそのような書きぶりになっているからでした。

なお、この決議が採択された2006年10月の安保理議長国は当時非常任理事国だった日本でした。

決議1718号はその後累積する北朝鮮制裁決議のひな型となり、CVIDに該当する箇所も何度も繰り返されています。その最新版が、2017年12月22日に採択された、「北朝鮮に対する制裁措置を前例のないレベルにまで一層高める強力な」安保理決議第2397号()です。

●核兵器以外への適用
「完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄」の概念は、核兵器だけでなく、北朝鮮の大量破壊兵器(核だけでなく生物・化学兵器を含む)と弾道ミサイルにまで拡大適用されることがあります。

前述の安保理決議第1718号には、このような記述があります。

"The Security Council (...) decides also that the DPRK shall abandon all other existing weapons of mass destruction and ballistic missile programme in a complete, verifiable and irreversible manner"
(外務省訳)「安全保障理事会は、(...)  また、北朝鮮が、その他の既存の大量破壊兵器及び弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄することを決定する。」

最近では、河野外務大臣による以下のような発言もあります。

「北朝鮮の大量破壊兵器,あるいはミサイルについてのCVIDについて様々議論がされることになろうかと思います。」( 河野外務大臣会見2018年5月8日

ここで注意したいのは、CVIDのDは denuclearization なので、上記発言のようにこの略語を核兵器以外に当てはめて使用するのは論理的に不可能である点です。

CVIDのDを dismantlement(解体) と解せば、このような用法も十分可能ではあります。実際、英語メディアや米国政府高官が CVID の dismantlement バージョンを使用した例も多くあります。しかし、2018年5月3日の米国務省プレスブリーフィングで、まさにこの点について質問を受けたHeather Nauert 報道官は、

"We’re calling it CVID now. So because the State Department, the government likes acronyms so much, we’ve got a new one: CVID – complete, verifiable, irreversible denuclearization. That is our policy and that is the policy of Secretary Pompeo." 

などと述べているので、やはりCVIDの略語を核兵器廃棄の文脈以外で使うのは誤解や混乱の元となり得、好ましくないと筆者は結論づけます。
※あくまで略語「CVID」の使い方の話で、「完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄」の概念自体は、冒頭で述べたように核兵器以外にももちろん適用可能です。



米朝首脳会談後に何らかの形で成果が示されると思われますが、そこにCVIDの文言が入っているかどうかという観点で注目してみるのも面白いでしょう。



【2018年6月12日加筆】
米朝首脳会談は12日に予定どおり実施され、両首脳は共同声明に署名しました。しかし、CVIDの文言は盛り込まれず、北朝鮮によるより一般的な非核化へのコミットメントが確認されるのみとなりました。

非核化 突っ込んだ議論できず トランプ大統領が認める(NHK)

アメリカのトランプ大統領は、米朝首脳会談を終えて記者会見し、「共同声明になぜ、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化が含まれていないのか」と記者から問われたのに対し、「時間が足りなかった。私はここに1日しかいない。われわれは集中的な時間を過ごしていくことになる。これからプロセスが始まるのだ」と述べて、非核化について突っ込んだ議論に踏み込めなかったことを認めました。

以上